ジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』

ジェイムズ・ラヴグローヴ『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』(日暮雅通 訳 ハヤカワ文庫FT 2022/8月刊)読。

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19世紀末~20世紀序盤にかけて英国の大衆小説家サー・アーサー・コナン・ドイルによって多数発表された名探偵シャーロック・ホームズ譚は 世界初の諮問探偵(コンサルティング・ディテクティヴ=警察からも依頼される私立探偵)を主人公とするミステリーシリーズとして歴史的一大潮流を生み出して 後年の同分野に多大な影響を与えると同時に 今日ではオマージュ/パスティーシュ/パロディの類も世界中で書かれているに相違ない(その流れには当然乍らシャーロック・ホームズの名前とキャラクターがパブリック・ドメインとなって久しいことが寄与していよう)。
本作はそんなホームズに対するパスティーシュ・テーマをCthulhu Mythos(ドイルのホームズ譚創作期とほぼ同時代に活躍した米国のカルト的パルプ雑誌系作家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの作品群を基調とする特異な怪奇小説サブジャンル=クトゥルーorクトゥルフ神話)に設定した異色の長篇小説シリーズ第1作の由──ここで〈異色〉と言うのは ホームズとCthulhu神話とを絡めたパスティーシュは意外にもそう多くない模様だからであり(少なくとも商業的に成功した長篇の作例としては) そうした貴重作が本邦ホームズ譚翻訳の第一人者 日暮氏(光文社文庫で個人全訳あり)によってこの時期に訳出されたのはまことに快事。

物語はロンドンのシャドウェル(意味ありげな地名だが実在する街区の由)での奇怪な連続変死事件を巡るホームズの捜査を端緒として ライムハウス(旧時代のチャイナタウン)に蠢く悪の巣窟と その背後の更なる巨悪による驚愕の異次元的陰謀にまで展開が広がっていく……
……という粗筋紹介はこの程度にとどめ 以下では本書で採用されているユニークな試みの諸点を挙げてみたい。

まず巻頭「はじめに」での驚きの告白として 作者ジェイムズ・ラヴグローヴ自身が何とH・P・ラヴクラフトの縁者と判明したとされていること!……事実か否かは別にして〈み〉の効果は大と言わざるを得ず。
また小説の構造としては 作者のHPL血脈を明かした某人物が ドイル作ホームズ譚の語り手だったジョン・ワトスン博士による長文の未発表陳述を作者に託する という体裁になっている点が大きい。この〈未発表〉というところが肝心で つまり過去にワトスン博士が語ってきたホームズ譚(=所謂〈正典〉)の全てが根底から覆されるかもしれないとあらかじめ示唆していると読めなくもない──事実 ワトスンは陳述の序盤で「(正典において)ホームズと私は二人で結託して、読者を誤認に導く壮大なミスディレクションを図った」とカミングアウトしている!
例えばワトスンは陳述の中でホームズとの出会いの経緯についても語るが それはドイル作の正典第1長篇『緋色の研究』の冒頭で紹介されている出会いとは大きく異なっており そちらが実はワトスンによるミスディレクションの一端だったと言えるのかも!?……が それはほんの序の口にすぎず 後半には更なる衝撃度の〈覆し〉が開陳されることに……
また登場人物は正典でのロンドン警視庁警部グレグスン(メイン警部レストレードのライバル)を始め 嘗てワトスンの医師面での助手だったスタンフォード(『緋色の研究』に登場する人物だが 名前がヴァレンタインであることが本作で初めて明かされる) 更にはホームズの兄マイクロフトも重要な役割を担い 終盤では高名な某○○まで顔を見せ……等々サービスに富み ファン(シャーロキアン)心理に訴えるのは必定。

一方でCthulhu神話との関連でも注目すべき点多々あり まずホームズが中盤でランドルフ・カーター(=HPL作の主要シリーズキャラ)張りに〈夢の探求(ドリーム・クエスト)〉を実践するのが驚き!
またワトスンも負けてはおらず ホームズと知り合う前のアフガニスタン戦争従軍時に本作の予兆となる出来事に既に遭遇していたことが明かされる──同地の地下に眠る謎の古代都市で恐るべき危機に瀕していた!
そんな2人がついには大英博物館の秘密めいた〈封印書籍部〉に赴き『ネクロノミコン』を始めとするCthulhu神話由縁の数々の魔道典籍を繙くことになり……

というわけで最後まで予断を許さない面白さで 帯での北原尚彦氏の推薦の辞に違わず シャーロキアンラヴクラフティアンも楽しめること請け合い。個人的には ホームズ譚はラヴクラフト系怪奇譚と実は相性がよい(とくに長篇版正典の冒険orスリラー小説的雰囲気の濃さからしても)と思ってきたが それが本作で実証されたのも好結果。且つまた 双方(or一方)の分野について予備情報を持たない読者をも充分に惹き込みうる力を具えているとも思われる。

更に言えば 昨年(2022)は大島清昭『赤虫村の怪談』(東京創元社)も世に出ており 内外でのCthulhuミステリーの収穫が同じ年に並んだことになり ここに来て楽しみな流れが再生されつつある予感。本シリーズの残る2作の刊行も大いに期待される。

 

 

 

 

……因みに 期待されると言えば……

 

 

 

 

実は日暮雅通氏と共同(分担)でホームズ+Cthulhuパスティーシュ作品の書き下ろしアンソロジー Shadows Over Baker Street を訳出中で 東京創元社より刊行の予定。──ただ諸般の事情により進行が当初想定より大幅に遅れてはいるが 両訳者とも既に半数以上訳了済みで(其々10作前後ずつ担当) あとは時間の問題と予想。刊行の暁には2分冊となる見込み(単行本or文庫は未定)。
このたびのラヴグローブ作品とは違って短篇集だが 収録作にはヒューゴー賞を受賞して既に名作と謳われ 日暮氏訳で『SFマガジン』2005/5月号に掲載されたニール・ゲイマン作「エメラルド色の習作」(「翠色の習作」とした他訳もあり)も含まれ 他も粒揃いで文字どおりの傑作集であり 同趣向の成功書としてはこの『シャドウェル』に先立つものとして 手前味噌乍ら期待大。本邦での刊行時期に関する限りは先を越されはしたが シャドウ繋がり(?)で肖れる可能性ができ寧ろ慶賀。是非に請ふ御贔屓!

Shadows Over Baker Street(2003)

マイケル・リーヴズ/ジョン・ペラン(Michael Reaves/John Pelan)編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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