ロバート・バー『ヴァルモンの功績』

ロバート・バー『ヴァルモンの功績』(田中鼎 訳 創元推理文庫 2020/11月発売) 読。

http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488155056

20世紀初頭英国で作家ロバート・バーが創出したウジューヌ・ヴァルモン探偵譚8篇+シャーロック・ホームズ・バロディ2篇から成る傑作集。ヴァルモン譚は名探偵ミステリー愛好者の間では古くから有名な伝説的シリーズのようで 訳者あとがきによればエラリー・クイーン江戸川乱歩が激賞絶賛し 日暮雅通氏の解説によれば夏目漱石も読んでいたに相違なしと夙に言われている由(後述)。平山雄一氏訳『ウジューヌ・ヴァルモンの勝利』(国書刊行会2010)が既にあり 当創元版は〈名作ミステリ新訳プロジェクト〉の1巻とされている。以下各作。

 

「〈ダイヤの頸飾り〉事件」・・・フランス警察刑事局長ヴァルモンが馘首される契機となった宝物盗難事件の顛末。巻頭作からいきなり主人公の失敗譚だが そこをさらに覆す皮肉な最終局が効果的。
「爆弾の運命」・・・英国に渡って私立探偵となったヴァルモンがテロ組織潜入捜査。解説によれば史実のヴィクトリア女王暗殺計画を意識している由。
「手掛かりは銀の匙」・・・現金盗難事件が意外な方向へ。〈銀の匙〉とは何か?
「チゼルリッグ卿の遺産」・・・莫大な遺産はどこに隠されたか? 外連味ある真相が面白し。
「放心家組合」・・・大胆にして巧妙な詐欺事件。〈放心家組合〉なる奇妙な語の意味とは? 夏目漱石吾輩は猫である』に借用されているとのことで同作の当該箇所確認。解説によればその件の発見については知る人ぞ知る昭和ミステリー作家 狩久がある役割を果たしているそうで吃驚。
「内反足の幽霊」・・・ゴシック的な城と幽霊と殺人事件。集中一番ミステリーらしい雰囲気と展開で 個人的最好感作。
「ワイオミング・エドの釈放」・・・アメリカで逮捕された貴族の子息解放の依頼を受けたヴァルモン。人を食った結末の可笑しさ。
「レディ・アリシアのエメラルド」・・・宝石盗難事件を巡るヴァルモンと魅惑の淑女とのある意味での対決。これまた笑みを誘う皮肉な幕切れ。
「シャーロー・コームズの冒険」・・・ホームズ・パロディ。名探偵コームズが助手ホワットスンと列車内殺人事件に挑む。本家顔負けの名推理…の果てや如何に?
「第二の分け前」・・・こちらもホームズ・パロディだがコームズではなく何と本家ホームズとその作者コナン・ドイルが登場し驚きの展開! 解説によれば作者バーはドイルの友人で そうでなければ2作共許されまじの挑発的書きぶり。

 

アガサ・クリスティー作のエルキュール・ポアロに先立つ英国初の外国人名探偵で 且つその尊大ぶりがポアロの原型とも目されると言うヴァルモンだが 腕利きにして名推理家にも拘わらず運命の悪戯か完勝は少なく(書名『功績Triumph』からしてアイロニカル) その点が全篇横溢の諧謔趣味と連関し 巻末のホームズ・パロディのみならずメインのこれらヴァルモン譚自体が世の名探偵譚への痛烈な風刺となっている点がユニークで おそらく最大の読みどころでもある。

その一方で 本書で何よりも驚かされるのは訳者 田中鼎(たなか かなえ)氏の訳文の凝り様で 前述の漱石との関連を飛躍的なまでに発展させて漱石その人を思わせる文体を敢えて採用し しかもさらに泉鏡花や柴田天馬訳版『聊斎志異』の文調も加味したとのことで驚き一入。作者バーの深甚な古典教養と原文の独特な晦渋さを活かすための試みであり 訳者あとがきからは大変な苦労苦慮が偲ばれる。またそれは訳者自身の広範な素養と特段の遊び心あってのことでもあり 偏えに感心あるのみ。訳文には一見しただけでは意味の判然としない難解な熟語等が頻出し 巻末には抜粋的乍ら「ヴァルモン国語辞典」なる特殊語解説まで付されているが 実はそれも稚気の域であり 読者には意味の正確な理解よりも寧ろ字面や語感の雰囲気を楽しんでもらえれば佳しと断わっている点も心憎い。

個人的にはそうした挑戦的訳文の面白さに目を奪われ過ぎた嫌いはあるが(当シリーズのミステリー史面での意義等に疎い故でもあり)それもまた本書刊行の効果に浴した一読者になれたことの表われとは言えるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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